秋風の曲

 001
いつもよりも風が肌寒く感じ、空がやけに広く見えるようになったと気付いた頃、京には秋がやって来る。
少しずつ夜が長くなり、虫たちが闇の中で歌を奏で始める。
目に映る木々が、優しく色付く秋。落ち着いたこの季節が、泰明は気に入っていた。


その日、泰明は師である晴明の代わりに、怨霊退治を命じられた。
北山はまだ紅葉には程遠いが、萩の花は少しずつ咲き始めている。小さい花だが、ふわりと枝垂れる様は風情が有って良い。
一週間も過ぎれば、おそらく美しく山を彩り始めるだろう。そうしたら、あかねを連れて来てやろう、などと思いながら泰明は、帰路をゆっくりと進んでいた。


ようやくのことで屋敷に着き、門をくぐろうとした時。
西の対から、賑やかな声が聞こえてきた。
大人数というわけではなさそうだが、随分と楽しそうな……晴明の声がする。
”また馴染みの貴族でも呼んで、妙な術で驚かせて楽しんでいるのではないだろうか”
泰明は、ふとそんな事を思った。
とにかく、齢七十を超えているというのに、まったく衰える気配などない。
酒は飲むし、貴重だと言われる献上物も、遠慮なくつまんで口にするし。やって来た貴族たちには、わざと式神を絡ませて反応を楽しんだりもするし。
我が師ながら、呆れるというか…逆に感心するというか。


「おかえりなさいませ、泰明殿。お努めはいかがでございましたか?」
入口まで迎え出てきたのは、侍女である彩陵だ。…とは言っても、勿論彼女も式神の一人。秋らしい落ち着いた朽葉の重ねが似合う、蟋蟀の精だ。
「深刻なものではなかった。すぐに浄化出来る程度の怨霊だった。」
「左様でございますか。」
彩陵は泰明の衣を手に取り、先に母屋の方へと歩いて行く。
そのあとを続きながら、渡殿を通り抜けようとしたとき、また晴明の声が庭を回って聞こえて来た。

「客人か?随分とお師匠の賑やかな声がするが」
「ええ、丁度泰明殿がお出かけになりました後に、入れ替わりで土御門の神子様がお越しになられましたの。」
「……神子が、来ているのか?何の用事があって、ここに来ている?」
「さあ、それまでは…。ただ、晴明様に御用があるとのことでしたが。」
「お師匠に用事?」
京でも右に出る者はいないと言える、稀代の陰陽師と呼ばれる晴明に、直々に用事があるということは、またもただならない事が起こったということか?
………いや、それはない。そんな深刻な状況なら、あんな大声で笑う晴明の声が聞こえて来るわけもない。
一体どんな用があるというのだろう、自分ではなく…晴明に。
自分では力不足ということか?それほどに大きな問題があるということか?
すっきりしない心を抱いたままで、泰明は晴明の部屋に歩いて行った。

+++++

「神子には驚かされるな。儂らの世界では、このようなものは到底思い付かぬよ」
「って言うか、元々は詩紋くんに教えてもらったんですけど、それをちょっとだけ工夫してみたんです。どうですか?」
「うむ。どれもこれも、唐菓子とは一風違って物珍しいが、なかなか素材の味が生きていて美味だな。」
「良かったー!それじゃ、この調子で頑張っちゃいますね!」
晴明のお墨付きを貰ったあかねは、満面の笑みを浮かべて喜びを表した。

今朝方、あかねが突然やって来たのには驚いた。
丁度泰明を使いに出してしまった後だったため、すれ違いになってしまったかと思ったが、用件は泰明ではなく晴明にあると言う。
それにもまた驚いたが、彼女の手荷物が目の前で広げられた時は、思わずそれらに興味を引かれた。
"菓子を作ったのだが、味見をして欲しい"と差し出されたもの達は、晴明にとっては初めて見るような代物だった。
貰いもので食した事のある唐菓子や、果実を使ったものとはまた違って、ふわりとした弾力感のあるそれは、晴明の好奇心を駆り立てた。

「しかし、小麦とは色々な使い方があるのだな。こんな柔らかなものが出来るとは思わなかった。」
「それはですねー、小麦を粉にしてよく練って…そこにハチミツをちょっと入れてですねー………」
あかねの説明をうなづきながら聞いている晴明の耳に、遠くから人の気配と足音がこちらに向かって近付いて来るのを感じた。
この足音は、泰明に間違いない。

「神子、泰明が来るぞ。早くそれらを隠した方が良い」
突然晴明に言われて、はっとしてあかねは周りをきょろきょろと見渡した。
「ど、どうしましょうか!どこに…どこに隠しますかっ!?」
「…取り敢えず、布にくるんで包んでおけば良かろう。早よう急げ。あやつに見られては困るのだろう?」
わたわたとあかねは布を広げ、そこらに並べていたものをひとまとめにしてくるみ、屏風の後ろに放り投げるようにして隠した。


「只今戻りました。」
スッと戸が開き、泰明が姿を現す。
----間一髪。しかし、思わずホッとして胸を撫で下ろすあかねの様子を、泰明が見逃す筈は無かった。
「ご苦労だったな、泰明。事は順長に運んだと聞いている。」
「はい。特に問題が助長するような事も無く。」
泰明の答えに、晴明は満足そうにうなづいた。

「あ、おかえりなさい泰明さん。お仕事、おつかれさまでした…」
ぎこちないながらも精一杯笑顔を作って、あかねは泰明にねぎらいの言葉をかけた。
が、どうも向こうはテンションが低い。……とは言っても、もともと高いわけではないが。
「泰明。神子が来ているというのに、その不機嫌そうな顔はなんだ。少しはにこりと笑って見せたらどうだ?」
「……」
さすがに晴明は、泰明の様子には敏感に反応したようだ。
いつも無表情に近いとは言え、神子と共にいるときは結構穏やかな表情を作るようになってきたというのに、今日はあかねの言葉にろくに反応を見せない。
「神子が声を掛けているのだから、挨拶くらいしないか。全くまだまだ融通の利かない奴で申し訳ない。」
そう言って晴明の方から頭を下げられると、あかねの方も恐縮してしまう。確かに、ちょっといつもとは雰囲気が違うけれど。

音もなく、泰明が立ち上がった。
「今日の記録をしなくてはならぬ。失礼する。」
彼は一言告げたあと、くるりと晴明たちに背を向けた。振り向こうともせず、何もそれ以上言う事も無く、泰明は部屋を後にした。

「…泰明さん、何かあったんでしょうか…お仕事先で、嫌なことがあったとか…」
あかねが少し心配そうに言う。晴明も首をかしげて、泰明の様子に疑問を抱いた。
「他人の言葉を、気にかけるようなタチでもないのだがなぁ」
人に見えて、人ではないから。だから感情の反応が、敏感になれない。それでもあかねと過ごす時間が増えてから、目に見えるように変化が現れて来たというのに。
いや、これもまた変化の一つか?
以前は、"不機嫌そう"なんて変化もなかったのだから。
何か理由があるはずだ。その理由とは一体?

「もしかしたら、ホントはお仕事が大変だったんじゃないですかね…」
さっきは滞り無く済んだ、と言ったが。
もちろん晴明もそれを目論んで、今回は泰明に頼んだのだ。弟子の中で随一の力を持つ泰明だとしても、大きな事例の場合は晴明自身が出向かなくてはならない。
今回のことは、中の上程度の事例。他の弟子ならともかくとして、泰明なら容易いと推測して命じたのだから、面倒なことまでは起こらないはず。
「でもー…誰だって失敗ってあるだろうと思うし。だけど、お師匠様に心配させたくないから、ごまかしてるのかもしれないですよ」

晴明は、あかねの言葉に顔がほころんだ。
「神子は、本当に優しい御方だな。そこまで泰明を案じて下さるとは、親冥利に尽きるというものよ」
泰明は、そこまで感情を使い回し出来るような、器用な男ではない。それなのに、そこまで穿った考えをしてくれるとは、弟子とは言えど羨ましい限りだ。

「これ以上、神子の心まで曇らせてしまっては申し訳が立たんな。ちょっと様子を探ってみるとするか」
そう言って晴明は、扇を片手で振り落とすようにして翻した。
すると、庭先でうごめいていた一匹のキリギリスが、そそくさと足早に泰明の部屋に向かって行った。

もちろん、あかねはそんなことには気付いていない。




***********

Megumi,Ka

suga